抽出理論2.0|コーヒーの味を”デザイン”する海外の先進的テクニックを科学する

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抽出理論2.0:海外で話題の「先進的抽出テクニック」を科学する

「美味しいコーヒー」の淹れ方は学んだ。しかし、その先にある「狙った味を創り出す」領域に足を踏み入れたいと思ったことはないだろうか?スペシャルティコーヒーの世界は今、単なる職人技から「再現可能な科学」へと大きな変貌を遂げている。

本稿では、1950年代から常識とされてきた抽出理論のアップデートから、世界大会で勝敗を分ける最新器具、そしてトップバリスタが実践する味を操るための超絶テクニックまで、海外の最前線で起きているコーヒー抽出のパラダイムシフトを徹底的に解剖する。これは、あなたのコーヒー探求を次のレベルへと引き上げるための、Zatsulaboからの研究報告書である。

抽出理論のパラダイムシフト 新・ブリューイングチャートが示す「味の地図」

コーヒー抽出の「正解は一つではない」という新しい考え方は、実は長い歴史を持つある「常識」のアップデートから始まりました。このセクションでは、まずその常識を知り、そして現代のコーヒー科学がそれをどう進化させたのかを解き明かし、本記事全体の理論的な支柱を構築します。

従来の常識 「理想の抽出」というゴール

長年にわたり、スペシャルティコーヒーの抽出は、ある一つの「理想」を目指す旅路とされてきました。その羅針盤となっていたのが、1950年代にロックハート博士によって提唱された、古典的な「コーヒー・ブリューイング・コントロール・チャート」です。このチャートは、TDS(濃度)とEY(抽出収率)という2つの指標を用いて、抽出されたコーヒーの品質を客観的な数値で評価する画期的な試みでした。

では、このチャートの四象限は、具体的にどのような状態を指すのでしょうか。ご自身でハンドドリップをされる方なら、経験的に思い当たることがあるかもしれません。

  • 弱い (Weak): 粉に対してお湯が多すぎる場合に起こり、水っぽい味になります。
  • 濃い (Strong): 粉に対してお湯が少なすぎる場合に起こり、味が強すぎると感じられます。
  • 抽出不足 (Under-extracted): 挽き目が粗すぎる、または抽出時間が短すぎる場合に起こり、酸っぱく未熟な味になります。
  • 過抽出 (Over-extracted): 挽き目が細かすぎる、または抽出時間が長すぎる場合に起こり、苦味や渋みが際立ちます。
旧コーヒー・ブリューイング・コントロール・チャート (1950年代)
TDS (濃度) →
EY (抽出収率) →
抽出不足 (酸っぱい)
弱い
濃い
過抽出 (苦い・渋い)
理想の領域
(収率 18-22%)
(濃度 1.15-1.45%)

このチャートが示した最も重要な概念は、抽出収率が18%から22%の範囲にあるコーヒーが、風味のバランスが取れた理想的な状態であるというものです。この「Ideal」ゾーンは、いわば「黄金の領域」として業界の標準となりました。しかし、この「単一の正解」を目指す考え方こそが、現代のコーヒー科学によって大きく見直されることになります。

海外トレンドの最前線で起きている理論のアップデート

しかし、コーヒー科学は1950年代から大きく進歩しました。特にスペシャルティコーヒー文化が成熟し、生産処理方法の多様化によってコーヒー豆が持つフレーバープロファイルが飛躍的に豊かになった現代において、単一の「理想」だけを追求することに限界が見え始めていたのです。

このような背景から、カリフォルニア大学デービス校(UC Davis)のコーヒーセンターとスペシャルティコーヒー協会(SCA)は、この古典的なチャートを21世紀版にアップデートするための大規模な共同研究プロジェクトを主導しました。このプロジェクトは、最新の化学分析技術、体系化された感覚科学、そして広範な消費者テストを組み合わせ、抽出変数がいかにしてコーヒーの風味と消費者の好みに影響を与えるかを再検証するものでした。

「コーヒー科学は1950年代から大きく進歩した。現代の多様なフレーバープロファイルに対し、単一の”理想”はもはや十分ではない。」

新常識の登場 「感覚と消費者プリファレンス・ブリューイング・コントロール・チャート」

この研究の成果として発表されたのが、「感覚と消費者プリファレンス・ブリューイング・コントロール・チャート」です。この新しいチャートがもたらした最大のパラダイムシフトは、「理想」という単一のゴールを提示するのではなく、TDSと収率の様々な組み合わせによって、どのような「感覚的特徴(Sensory Attributes)」が最大化されるかを示す「味の地図」へと進化した点にあります。

具体的には、チャート上の異なる領域に、「sweet(甘い)」「bitter(苦い)」といった基本的な味覚だけでなく、「citrus(シトラス)」「berry(ベリー)」「black tea(紅茶様)」といった、より具体的で詳細なフレーバー記述子がマッピングされています。

この味の地図の登場は、コーヒーを淹れる行為の意味を根本から変えます。もはやブリューワーは、定められた「バランスの良いコーヒー」という目的地を目指すだけの旅行者ではありません。自らの意志で「今日はベリー感が際立つ華やかなコーヒーを創ろう」といったように、特定の風味プロファイルを意図的にデザインする「フレーバーデザイナー」へと役割を変えることができるようになったのです。

新感覚ブリューイングチャートという「味の地図」
TDS(濃度)
🍬甘い
🍫苦い
🍋酸味/サワー
🍊シトラス
🍓ベリー
紅茶様
🔥ロースト感
EY(抽出収率)

高価な測定器がなくても「味の地図」を旅する実践的な活用法

新しいチャートの概念は魅力的ですが、多くのホームブリューワーはTDSメーター(屈折計)のような高価な測定器を所有していません。しかし、測定器がなくとも、この「味の地図」の考え方を日々の抽出に活かすことは十分に可能です。

  • 方法1:グラインドサイズ(挽き目)の調整
    最も簡単な実験は、挽き目を変えることです。同じ豆、同じレシピで、基準となる抽出を一つ行い、次に片方を極端に粗挽きに、もう片方を極端に細挽きにして淹れてみましょう。一般的に、粗挽きは低収率(地図の左下方向)へ、細挽きは高収率(右上方向)へと移動します。この3つの味を比較することで、「甘さ」と「苦さ」の変化を体感し、自分の抽出が地図上のどのあたりにいるのかを感覚的に把握する訓練になります。
  • 方法2:レシピ(粉と水の比率)の調整
    次に試すべきは、ブリューレシオの変更です。粉の量に対してお湯の量を増やす(例:1:15から1:17へ)と、濃度(TDS)が下がり、プロットは地図の左側へ移動しやすくなります。逆にお湯の量を減らすと、濃度が上がり右側へ移動します。この操作によるフレーバーの変化を体験することで、地図上の動きをより深く理解できます。
表1 抽出理論の進化 旧チャートと新感覚ブリューイングチャートの比較
特徴 旧:コーヒー・ブリューイング・コントロール・チャート (1950年代) 新:感覚と消費者プリファレンス・チャート (2020年代)
目的 「理想的なバランス」のコーヒーを淹れるための規範 特定の「風味プロファイル」を創り出すための地図
ゴール 収率18-22%の「Ideal」ゾーンに入ること 狙った感覚(甘さ、シトラス感など)を最大化する座標を狙うこと
味の表現 4つの象限(弱い、濃い、抽出不足、過抽出) 詳細な感覚記述子(甘い、ベリー、紅茶様など)
アプローチ 品質保証的・画一的 風味デザイン的・多様的
読者への示唆 「正解」を再現する 自分の好みに合わせて「最適解」を設計する

ハードウェアの進化が拓く新境地 注目の先進的抽出器具

新しい「味の地図」を手に入れた今、その地図上を自在に、そして正確に旅するための「乗り物」、すなわち先進的な抽出器具が求められます。ここでは、海外のコーヒーコミュニティで特に注目を集め、従来の抽出の限界を打ち破る可能性を秘めた2つの革新的な器具を解説します。

「バイパス」をゼロにするNextLevel Pulsarが実現する究極の均一抽出

ハンドドリップで広く使われているドリッパーには、構造上避けがたい課題が存在します。それは「バイパス」と呼ばれる現象です。これは、注がれたお湯の一部がコーヒー粉の層を十分に通過せず、フィルターとドリッパーの隙間を伝ってしまい、有効な抽出が行われないまま下に落ちてしまう現象を指します。このバイパスは抽出されたコーヒー液を薄めるだけでなく、不均一な抽出を引き起こし、狙った風味を出すことを難しくしていました。

この根本的な問題を解決するために開発されたのが、「ノーバイパス・ブリューワー」です。その代表格として注目されているのが、NextLevel Pulsarです。Pulsarは、抽出における偶然性を排し、再現性を極限まで高めるための科学的アプローチを具現化した器具と言えます。

従来のドリッパーが抱える「バイパス問題」とその解決策

従来型ドリッパー (例: V60)

バイパス発生

お湯の一部がコーヒー粉を通過せず壁面を伝わる「バイパス」現象は、抽出液全体を薄めるだけでなく、深刻な抽出ムラを引き起こします。

結果としてコーヒー粉の一部は過抽出(苦味・渋味)に、別の部分は抽出不足(酸っぱさ)になり、カップ全体のフレーバーがぼやけてしまいます。

ノーバイパス・ブリューワー (Pulsar)

1 2 3

1. 均一な散湯キャップ: 誰が淹れてもお湯を均一に分散させる。

2. ノーバイパス構造: 意図しないお湯の流れを物理的に遮断。

3. 流量制御バルブ: 抽出速度を完全にコントロール可能にする。

Pulsarがもたらす最大の価値は、バイパスをなくし、抽出の均一性を保証することで、新しいブリューイングチャート上で狙った風味を極めて高い再現性で引き出せる点にあります。人間の技術によるブレという「偶然性」を排除し、挽き目や湯温といったパラメータを精密に制御することで、抽出はアートからサイエンスへと昇華されるのです。

香りを閉じ込める科学 Nucleus Paragonの「エクストラクト・チリング」とは

コーヒーを淹れる際に立ち上る心地よい湯気と香り。それはコーヒー体験の醍醐味ですが、科学的には、最も価値のある「揮発性アロマ成分」が空気中に逃げ出している現象に他なりません。特にスペシャルティコーヒーの価値を決める華やかなフローラルさやフルーティーさを構成する重要な要素が、カップに注がれる前に失われているのです。

この「抽出後の損失」という課題に挑むのが、「エクストラクト・チリング(抽出液の冷却)」という革新的な技術です。ワールド・バリスタ・チャンピオンシップで注目を集め、それを誰でも利用可能な製品として具現化したのがNucleus Paragonです。

失われるアロマを閉じ込める「エクストラクト・チリング」の概念
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+40% アロマを保持

その仕組みは、抽出されたばかりの熱いコーヒー液を、凍らせた金属製の球体(Chilling Rock)に当てることで瞬間的に冷却するというもの。スイスの大学との共同研究によれば、この技術を用いることで、最大で40%も多くのアロマ成分をカップ内に保持できることが科学的に証明されています。高温では気化してしまう繊細な香りを、液体中に「閉じ込める」ことで、従来の方法では感じ取れなかった、より複雑で鮮烈なフレーバーが生まれるのです。

バリスタは科学者たれ 世界大会から学ぶ「味を操る」超絶テクニック

最新の「理論(地図)」と「器具(乗り物)」を手に入れたとしても、それを使いこなし、一杯のコーヒーを芸術の域にまで高めるには、優れた「ソフトウェア(技術)」が不可欠です。ここでは、世界のトップバリスタたちが実践する、常識を覆す先進的な抽出テクニックを解剖し、その背後にある科学的思考に迫ります。

抽出の断片化(デフラグメンテーション) 甘さを引き出すための引き算の美学

従来のハンドドリップでは、抽出した液体をすべて一つのサーバーに集めるのが常識でした。しかし先進的なバリスタたちは「抽出の初期と後期で溶け出す成分は、同じ価値を持つのか?」という問いを立てています。科学的に見れば、コーヒーの成分は溶け出すタイミングが異なります。

この考え方に基づき、海外で試みられているのが「デフラグメンテーション(抽出の断片化)」というコンセプトです。これは、抽出プロセスを意図的に「断片化」し、特定の望ましくない部分を選択的に取り除くというアプローチを指します。

最も代表的な例は、蒸らしの段階で落ちてくる最初の数滴〜数十グラムの抽出液を、あえてサーバーに入れずに「捨てる」または「分離する」というテクニックです。抽出の最も初期には、良質な酸味と共に、微粉由来の雑味も多く溶け出すという仮説に基づいています。この部分を意図的に取り除くことで、カップ全体の透明感を高め、よりクリーンで甘さの際立つ一杯を創り出そうという試みです。

「引き算」で味をデザインするデフラグメンテーション
1
蒸らし開始
通常通りお湯を注ぐ
2
最初の30gを分離
雑味の元になる可能性のある初期抽出液を取り除く
3
残りを抽出
計画通りに残りの湯量を注ぐ
完成
よりクリーンで甘さが際立つ一杯に

温度プロファイリング 一杯のコーヒーに時間軸をデザインする

多くのレシピでは、湯温は「93℃」のように、抽出を通じて一定に保たれる「静的変数」として扱われます。しかし、世界のトップバリスタたちは、湯温を意図的に変化させる「温度プロファイリング」という高度な技術を駆使しています。

例えば、2021年のワールド・ブリューワーズ・カップ(WBrC)で優勝したMatt Winton選手のレシピを見てみましょう。彼は抽出の各段階で温度を精密に制御し、一杯のコーヒーに「物語」を創り出しています。

  • 前半(蒸らし・発展段階): 93℃という比較的高温のお湯を使用。コーヒーの甘さや質感(ボディ)を形成する成分を最大限に引き出すことを目的としています。
  • 後半(最終段階): 温度を88℃に下げます。これにより、高温では失われがちな繊細なアロマをカップ内に保持し、同時に苦味や渋みといった不要な成分の抽出を抑制します。
WBrC王者が実践する温度プロファイリングの例
湯温 (℃) 抽出時間 (秒) 93℃ 88℃ 0s 30s 70s
甘さとボディを構築
香りを閉じ込める

このように、高温と低温を使い分けることで、彼は一杯のコーヒーの中に「序盤で甘さとボディを構築し、終盤で香りを閉じ込め、クリーンに締めくくる」という味の展開を意図的にデザインしているのです。これは、コーヒー抽出に「時間軸」という第四の次元を導入する行為に等しいと言えるでしょう。

Zatsulabo実践ガイド あなただけの先進的抽出プロトコル構築法

本稿で学んだ理論とテクニックは、決して専門家だけのものではありません。私自身もV60での抽出に限界を感じ、海外の情報を探る中でこの新しい理論に出会いました。ここでは、あなたのキッチンを「ホームラボ」に変え、探求を始めるための具体的な実験手順を提案します。

研究の第一歩 基準となる「コントロール(対照)抽出」を定める

あらゆる科学実験の基本は、比較対象を持つことです。何か新しい試みをする前に、まずはあなたが現在最も信頼し、繰り返し実践しているレシピを「コントロール(対照)」として設定することが不可欠です。使用する豆、挽き目、粉と水の比率、湯温、手順を固定し、その味をできるだけ正確に言語化して記録しましょう。これが、今後のすべての実験における基準点となります。

EXPERIMENT 01
新ブリューイングチャートを体感する
試すこと(変数)
⚙️ 挽き目を「粗挽き」「細挽き」に変えて3つのカップを比較する。
確認すること(評価点)
👅 甘さ、酸味、苦さがどう変化し、味の地図のどこに位置するかを確かめる。
EXPERIMENT 02
引き算の美学「デフラグメンテーション」
試すこと(変数)
🗑️ 蒸らしで落ちる最初の30gの抽出液をサーバーから取り除く。
確認すること(評価点)
後口のクリーンさ、甘さの質、舌触りの変化を評価する。
EXPERIMENT 03
簡易温度プロファイリング
試すこと(変数)
🌡️ 前半の投入を高温(93℃)、後半を低温(88℃)で淹れてみる。
確認すること(評価点)
🌸 香りの華やかさ、味の複雑さや奥行きに変化があるかを確認する。

結果の記録と考察

これらの実験で最も重要なのは、結果を記録し、考察することです。「どの変数が、味のどの要素に、どのように影響したか」をあなただけの実験ノートに書き留めていきましょう。私が実際にデフラグメンテーションを試したところ、特にエチオピアナチュラルの後口が驚くほどクリーンになりました。このような自分だけの発見の蓄積こそが、レシピをコピーする段階から脱却し、豆のポテンシャルを最大限に引き出す論理的なアプローチを身につけるための、最も確実な近道となるでしょう。

まとめ 探求は続く、最高のコーヒー体験は科学と共にある

本稿で解説した「新ブリューイングチャート」という理論の進化、「NextLevel Pulsar」や「Nucleus Paragon」に代表される先進的器具の登場、そして世界のトップバリスタが実践する「デフラグメンテーション」や「温度プロファイリング」といった超絶テクニック。これらはすべて、現代のスペシャルティコーヒー抽出が、いかに深く科学的な探求に基づいているかを示しています。

もはや最高のコーヒー体験は、偶然や個人の感覚だけに頼るものではありません。それは、理論に裏付けられた仮説を立て、精密な器具を用いて変数を制御し、得られた結果を客観的に評価するという、科学的なプロセスを通じて構築されるものへと変わりつつあります。

究極の一杯への道に終わりはありません。今日紹介した最先端のテクニックも、数年後には新たな理論や発見によって更新されているかもしれません。それこそが科学の持つダイナミズムであり、コーヒーという飲み物が持つ無限の可能性の証左でもあるのです。

参考文献

  • SCA & UC Davis Coffee Center, Sensory and Consumer Preference Brewing Control Chart.
  • Nucleus Coffee Tools, The Paragon Explainer.
  • World Coffee Championships, Official Website.

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