「まるで赤ワインのような芳醇な香り」「完熟したイチゴのような甘み」。
最近、スペシャルティコーヒーの世界で話題の「カーボニックマセレーション」。しかし、その言葉だけが先行し、「アナエロビックと何が違うの?」「なぜこんなに高価なの?」といった疑問を感じていませんか?
運営者である私も、初めてCMコーヒーを飲んだ時、そのワインのような香りと衝撃的な甘みに「これは本当にコーヒーなのか」と驚き、すぐさまこの技術の虜になりました。
この記事は、そんなあなたの知好奇心を満たすための科学的な解説書です。ワイン醸造学から来たこの革新的な技術が、いかにしてコーヒーチェリーの細胞レベルで風味を設計するのか。その科学的メカニズムから、他の精製方法との決定的な違い、価格の理由、そして日本国内で最高のコーヒー体験をするための豆の選び方から抽出レシピまで、Zatsulaboが徹底的に解き明かします。
この記事を読めば、あなたはカーボニックマセレーションの専門家となり、次の一杯を確信を持って選べるようになるでしょう。
カーボニックマセレーション(CM)とは?コーヒーの新時代を告げる「風味の設計図」
カーボニックマセレーション(Carbonic Maceration、以下CM)は、コーヒーの風味の可能性を劇的に押し広げた、最先端の精製方法の一つです。その本質を理解するために、まずはその起源とコーヒー業界にもたらした衝撃から見ていきましょう。
この技術のルーツは、実はコーヒーではなく、フランスのボジョレー地方で作られるフレッシュでフルーティーな赤ワインの醸造に用いられてきた「炭酸ガス浸漬法」にあります。その名の通り「Carbonic(炭酸ガス)」の環境に果実を「Maceration(浸漬)」させることを意味します。
このワイン造りの秘術がスペシャルティコーヒー業界で一躍脚光を浴びたのは、2015年のワールド・バリスタ・チャンピオンシップ(WBC)がきっかけでした。オーストラリア代表のサシャ・シェスティック(Saša Šestić)氏が、このCMで精製されたコーヒーを使用して見事優勝を果たしたのです。それまで誰も味わったことのないような複雑で鮮烈なフレーバーは、世界のコーヒー関係者に衝撃を与えました。
では、CMとは一体何なのでしょうか。一言で定義するならば、「収穫したコーヒーチェリーを密閉タンクに入れ、外部から意図的に二酸化炭素(CO2)を注入し、酸素が極めて少ない環境で発酵させ、風味を意図的に設計する精製方法」となります。
【国内価格を調査】CMコーヒーはなぜ高い?どこで買える?
CMコーヒーに興味を持った時、多くの方がまず気になるのがその「価格」ではないでしょうか。実際に日本のオンラインストアを調査してみると(2025年10月時点)、100gあたり約1,500円から、高価なものでは5,000円を超えるものまで存在し、一般的なスペシャルティコーヒーと比較しても高価格帯であることがわかります。
では、なぜこれほどまでに高価なのでしょうか。その理由は、大きく分けて3つあります。
- ① 特殊な設備への投資
CO2を注入し、温度や圧力を厳密に管理できるステンレス製の密閉タンクなど、高価な専用設備が必要となります。 - ② 高度な技術と失敗のリスク
発酵プロセスは非常に繊細であり、管理を少しでも誤ると意図しない風味になったり、ロット全体が台無しになったりする高いリスクを伴います。 - ③ 生産量が少なく希少性が高い
上記の理由から、CMを導入できる農園は限られており、生産されるコーヒーの量自体がまだ非常に少ないのが現状です。
これらの「投資」「リスク」「希少性」こそが、CMコーヒーの価格に反映されているのです。日本国内では、品質にこだわるスペシャルティコーヒーロースター(Honey Coffeeさんやnano-coffeeroasterさんなど)のオンラインストアで取り扱いがある場合が多いので、ぜひチェックしてみてください。
- 特殊な設備(密閉タンクなど)
- 高度な技術と失敗のリスク
- 生産量が少なく希少
【ラボの核心】なぜ美味しくなる?CMプロセスの5ステップを科学する
CMコーヒーがなぜあれほどまでにユニークで、魅力的なフレーバーを生み出すのか。その秘密は、緻密に管理された発酵プロセスの中に隠されています。ここでは、Zatsulaboの真骨頂である科学的アプローチで、そのメカニズムを5つのステップに分解して解き明かします。
このプロセスで最も重要なのが、Step3の「細胞内発酵(Intracellular Fermentation)」です。
通常の(酸素がある環境での)発酵や、後述するアナエロビック・ファーメンテーションでは、主にチェリーの「外側」に付着した酵母やバクテリアといった微生物が糖分を分解します。しかしCMでは、外部から高濃度のCO2を注入することで、微生物の活動よりも先に、チェリー自身の酵素が内部から働き出すのです。
この内部からの化学反応により、リンゴ酸などが分解され、シナモンや独特のフルーティーな香りの元となる芳香成分(エステル類など)が効率的に生成されると考えられています。これが、CM特有のワインのような複雑なアロマの源です。
さらに革新的なのは、Step4の「制御可能性」です。生産者は、発酵期間、温度、pHといった変数を、狙う風味に合わせて精密にコントロールします。これは、天候や湿度といった自然要因に品質が左右されがちだった従来の発酵とは一線を画します。「偶然を待つ発酵」ではなく「意図して風味を設計する発酵」と呼べる理由がここにあります。
永遠の疑問:「アナエロビック」と「カーボニックマセレーション」の決定的違い
CMに興味を持つ方が、ほぼ間違いなく直面する疑問。それは「アナエロビック・ファーメンテーション(嫌気性発酵)と何が違うの?」というものです。
まず大前提として押さえるべきは、「CMはアナエロビックの一種である」という点です。どちらも酸素のない環境(嫌気的環境)で発酵を行うという点は共通しています。しかし、そのアプローチには決定的な違いが存在します。
この二つの違いが、最終的なコーヒーの風味に大きな差異をもたらします。
- アナエロビック
微生物による発酵が主体となるため、独特の発酵感やシナモンのような風味、力強いボディが特徴となることが多いです。 - カーボニックマセレーション
細胞内発酵が主体となるため、過度な発酵感を抑え、よりクリーンで、ワインのような複雑なアロマや滑らかな質感が生まれやすい傾向にあります。
CMは、アナエロビックという大きなカテゴリーの中で、特に「CO2の注入」と「細胞内発酵」に特化した、より精密な技術であると理解すると分かりやすいでしょう。
主要精製方法ポジショニングマップ
CMの独自性をより深く理解するために、他の精製方法との違いを一覧で見てみましょう。伝統的な「ウォッシュト」「ナチュラル」「ハニー」に加え、前述の「アナエロビック」と「CM」を比較することで、CMがどの位置にいるのかが明確になります。
| 特徴 | ウォッシュト | ナチュラル | ハニープロセス | アナエロビック | カーボニックマセレーション (CM) |
|---|---|---|---|---|---|
| プロセス概要 | 果肉除去 → 水洗 → 乾燥 | 果実のまま乾燥 | 果肉除去 → 粘液質を残して乾燥 | 密閉タンクで嫌気性発酵 | 密閉タンクにCO2を注入し嫌気性発酵 |
| 発酵の主体 | 微生物 | 微生物 | 微生物 | 主に微生物 (チェリー外側) | 主に細胞内酵素 (チェリー内側) |
| 主な制御変数 | 発酵時間、水温 | 乾燥期間、天候 | 粘液質の残存率、乾燥期間 | 発酵時間、温度 | CO2濃度、温度、時間、pH |
| 風味の方向性 | クリーン、爽やか | フルーティー、複雑 | 甘み、質感 | 特徴的な発酵香、強い甘み | ワイン様、鮮やかな果実香、滑らか |
| 酸味 | 明瞭、シャープ | 穏やか | バランスが良い | 複雑 | 明るい、ジューシー |
| 甘み | スッキリ | 強い | 強い | 非常に強い | 質を伴った甘み |
| 透明度(Clarity) | 高い | 低め | 中間 | 変動あり | 高いことが多い |
【実践編】自宅でCMコーヒーの真価を引き出す方法
理論を学んだら、次はその特別な一杯を自宅で体験してみましょう。CMコーヒーは高価ですが、そのポテンシャルを最大限に引き出すための「豆の選び方」と「淹れ方」には、いくつか重要なポイントがあります。
失敗しない豆の選び方
CMコーヒーの繊細な風味は、豆のコンディションに大きく左右されます。
- ① 信頼できるロースターから購入する
CMのような特殊な豆は、その特性を理解したロースターが最適な焙煎を施す必要があります。品質にこだわる専門店での購入が確実です。 - ② ラベルの「CM Natural / Washed」を確認する
最後の乾燥工程の違いもチェックしましょう。「Natural」はより果実味が豊かで複雑な風味、「Washed」はよりクリーンで酸の質感が際立つ傾向があります。 - ③【最重要】焙煎日から2〜4週間「寝かせる」
これはプロも実践する非常に重要なコツです。CMのような複雑な発酵を経た豆は、風味が安定するまでに通常より長い時間が必要です。焙煎したては香りが閉じていたり、ガスが多すぎてうまく抽出できないことがありますが、最低でも2週間、できれば3〜4週間ほど待つことで、本来の華やかなフレーバーが開き、驚くほど美味しくなります。
CMコーヒーのためのハンドドリップ・レシピ
抽出の哲学は、「繊細な風味を壊さない、引き算の抽出」です。生産プロセスが極めて複雑である一方、家庭での抽出は、その設計された風味をそっと引き出す「よりシンプルで、より優しい」アプローチが求められます。
高温や過度な攪拌は、せっかくの風味のバランスを崩しかねません。以下の3つのポイントを意識してください。
- 湯温は88℃〜90℃の低めに設定したか? (高温すぎると繊細な香りが飛んでしまいます)
- 挽き目はいつもの中挽きより「やや粗め」にしたか? (過抽出を防ぎ、雑味を抑えます)
- 焙煎日から2週間以上寝かせたか? (これが味を決定づける最重要ポイントです)
これらのポイントを踏まえ、Zatsulaboで様々な湯温や挽き目を試した結果、この豆のポテンシャルを最も引き出せると感じたレシピをご紹介します。
- 0:00〜 蒸らし (45秒)
30gのお湯を粉全体に優しく注ぎ、45秒間しっかり待ちます。 - 0:45〜 1投目 (→150g)
中心から500円玉大の円を描くように、120gのお湯をゆっくり注ぎます。(合計150g) - 1:30〜 2投目 (→240g)
さらに90gを同じように優しく注ぎ、合計湯量を240gにします。 - 〜2:30 完了
お湯が落ちきるのを待ちます。(2分30秒前後が目安)
発酵の未来:CMはコーヒーの「テロワール」を拡張する
最後に、CMがコーヒー業界に与える長期的な影響について考察します。これは単なる一過性のブームなのでしょうか、それともコーヒーの未来を恒久的に変えるイノベーションなのでしょうか。
CMがもたらす品質と価格の向上は、生産者にとって大きな経済的インセンティブとなります。しかし、その裏には高価な設備投資や、発酵管理の失敗がロット全体の損失に直結するという大きなリスクが存在します。このため、全ての生産者が容易に導入できる技術ではなく、その普及には知識の共有や、より低コストで導入可能な技術開発が今後の鍵となるでしょう。
また、WBCのようなトップレベルの競技会は、CMのような新しい技術が評価され、市場に認知されるための極めて重要なプラットフォームとして機能しています。トップバリスタが採用することでその技術に権威性が与えられ、感度の高いロースターや消費者が追随し、やがて市場全体のトレンドを形成していくという構造があります。
結論として、ZatsulaboはCMを単なる流行ではなく、本質的なイノベーションであると考えます。
これまでコーヒーの価値は、主に「品種」や「テロワール(産地の気候や土壌がもたらす個性)」によって語られてきました。しかしCMの登場により、生産者が「どのような風味を創り出すか」という明確な意志と科学的技術が、コーヒーの価値を大きく左右する時代が到来したのです。CMは、その最前線に立つ技術であり、コーヒーが持つ果実としてのポテンシャルを、これからも様々な角度から引き出し、私たちのコーヒー体験をより豊かで多様なものにしてくれるはずです。Zatsulaboは、これからもその進化を追い続けます。
参考文献・情報源
- Sasa Sestic (2017). “The Coffee Guide, Second Edition”. (WBCチャンピオン、サシャ・シェスティック氏の著書)
- MDPI (2021). “The Effect of Carbonic Maceration on Coffee Quality”. (コーヒーの品質に関する学術論文)
- Specialty Coffee Association (SCA). “Protocols & Best Practices”. (スペシャルティコーヒー協会の品質プロトコル)
- 各スペシャルティコーヒーロースター(Honey Coffee, nano-coffeeroaster等)の公式オンラインストアにおける製品情報(2025年10月時点)


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