「高い豆を買った。高性能なグラインダーも手に入れた。秒単位でレシピも守っている。それなのに、あのお店のような味が再現できない」
もしあなたが今、このような壁にぶつかっているのなら、疑うべきはあなたの「腕」ではありません。犯人は、カップの中身の98.5%以上を占めている物質、すなわち「水」である可能性が極めて高いのです。
水は透明で見えません。だからこそ、私たちはそれを「不変のもの」として扱いがちです。しかし、プロのバリスタにとって水は「コントロールすべき変数」の一つです。
見えない変数を「見える化」するだけで、抽出のブレは劇的に減る。
この記事では、水という見えない変数を攻略するための最初の武器、「TDSメーター」について解説します。
数千円の投資で手に入るこのツールを使えば、「今日の水はいつもより濃いから、抽出を少し変えよう」といった判断が可能になります。しかし、TDSメーターの世界には「換算係数という大きな落とし穴」があり、これを知らずに使うと逆に味を迷走させる原因にもなりかねません。
まずは基礎から、プロが現場で見ている「数字の正体」を解き明かしていきましょう。
ただ、TDSを測る前にやることがあります。まずは“塩素(カルキ)”をゼロにしないと、数値が整っても香りが死にます → コーヒーは水道水で劇変する。浄水器の選び方と「塩素除去」の最適解

TDSとは何か?—「重さ」ではなく「電気」を見ている
TDSメーターの使い方を覚える前に、そもそも「画面に表示されている数字は何なのか」を正しく理解する必要があります。ここを誤解していると、後の調整で必ず失敗します。
TDS = 総溶解固形分(水に溶けている物質の総量)
TDS(Total Dissolved Solids)とは、直訳すると「総溶解固形分」。水の中に溶け込んでいる、水分子(H₂O)以外の物質の総量を指します。
具体的には、カルシウムやマグネシウムなどのミネラル分、塩分、金属イオンなどがこれに含まれます。単位は一般的にppm(parts per million)やmg/Lで表され、数値が高ければ高いほど「何かがたくさん溶けている(濃い/硬い傾向がある)」水、低ければ「不純物が少ない(薄い/軟らかい傾向がある)」水と言えます。
【最重要】TDSメーターは「重さ」を測っていない
ここが最も重要なポイントであり、多くの人が誤解している部分です。
厳密な意味でのTDS(総溶解固形分)を測るなら、水を蒸発させて鍋底に残った物質の重さを測る「蒸発残留物」の測定が必要です(日本の水道局などはこの方法を用います)。しかし、私たちが手にするペン型のTDSメーターは、水を蒸発させたりはしません。
TDSメーターが実際に測っているのは、水の中の「電気の通りやすさ(電気伝導率:EC)」です。
純粋な水(純水)は電気をほとんど通しません。そこにミネラルやイオンなどの不純物が溶けることで、電気が流れるようになります。TDSメーターはこの性質を利用し、電極間に電気を流して「どれくらい電気が通りやすいか」を測定し、その数値を「これくらい電気が通るなら、これくらいの物質が溶けているはずだ」という計算式でppmに換算して表示しているに過ぎないのです。
この「換算」というプロセスが、コーヒー用の水質測定において非常に大きな意味を持ちます。なぜなら、「何の計算式(換算係数)を使っているか」によって、同じ水でも表示される数値が変わってしまうからです。
次章では、この「換算係数の罠」について詳しく解説します。ここを理解しないまま「SCA推奨の150ppm」を目指すと、大きな誤差が生じることになります。
【最重要】「150ppmの罠」— 0.5(NaCl)と0.7(442)で別世界
TDSメーターを使う上で、ここだけは絶対に覚えておいてください。この理解がないと、数値は役に立たないどころか、あなたを混乱させるノイズになります。
先ほど「TDSメーターは電気伝導率(EC)を測って、計算式でppmに換算している」と説明しました。問題は、「その計算式(換算係数)には世界共通の基準がない」ということです。
SCAが目指す「150ppm」とは?
スペシャルティコーヒー協会(SCA)の水質基準では、理想的なTDS値を150 mg/L (ppm)(許容範囲 75〜250 mg/L)としています。多くのコーヒー好きはこの数字を目指します。
しかし、この「150」という数字は、「442」という特定の換算係数(約0.7)を使った場合の数値なのです。
- NaCl係数(約0.5): 塩水などを測る工業用や安価なメーターで採用。Amazon等の安いメーターの多くはこれ。
- 442係数(約0.7): 天然の淡水(自然水)を模した基準。SCA(スペシャルティコーヒー協会)はこちらを採用。
これがどのような悲劇を生むか、図で見てみましょう。「同じ水」を測っているのに、メーターの設定が違うだけで表示される数値はこれだけ変わります。
(NaCl基準)
「SCA推奨値だ!」
(実は濃すぎる)
電気の通りやすさ
300
µS/cm
(442基準)
「推奨値より高い」
(これが正解)
あなたのメーターはどっち?
もしあなたが、Amazonで1,000円〜3,000円程度で購入した一般的なTDSメーターを持っているなら、それはNaCl係数(0.5)である可能性が高いです。
そのメーターでSCA推奨の「150ppm」を目指して水を作ると、実際には電気伝導率300µS程度の濃い水が出来上がります。これをSCA基準(442)で測り直すと約210ppmとなり、推奨値を大きくオーバーしてしまうのです。
「数値を合わせたはずなのに、なんだか味が重たい、苦い」という失敗の多くは、この係数のズレが原因です。
【解決策】係数0.5のメーターを使う場合
「高いメーターに買い替えないといけないの?」と思われるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。仕組みさえ分かっていれば、安価なメーターでも十分に活用できます。単純に読み替えれば良いのです。
お持ちのメーターがNaCl基準(係数0.5)の場合、SCA基準(係数0.7)と比較するには、表示数値を約1.4倍してください。
NaCl表示値 × 1.4 ≒ SCA基準値 (442)
例:メーターで100ppmと出たら、SCA基準では約140ppm程度だと解釈する。
例:SCA推奨の150ppmを目指すなら、メーター表示は105〜110ppm付近を狙う。
失敗しない機材選び(松・竹・梅)
前述の「換算係数」の違いを踏まえ、当ラボが推奨するメーターを3つのグレードで紹介します。結論から言えば、予算が許すなら「松(COM-100)」一択ですが、用途によっては「竹」でも十分です。
実践!“家の水”を測ると何が分かる?(水道水・浄水・RO)
メーターを手に入れたら、実際に測ってみましょう。ここでは、多くの家庭でよくあるパターンの実測値(※筆者宅および関東エリアの平均的な例)を紹介します。あなたの家の数値と比較してみてください。
1. 水道水をそのまま測る
まずは基準を知るために、蛇口から出た水を測ります。
- 関東エリア(東京・千葉など): 80〜120 ppm (COM-100 / 442モード)
- 関西・中部エリア: 40〜80 ppm (COM-100 / 442モード)
日本の水道水は地域によって硬度(ミネラル量)が大きく異なります。東京都水道局「水質データ」などを見ても、利根川水系などはやや高めに出る傾向があります。この時点で150ppmを超えている場合、コーヒーには少し「重い」かもしれません。
2. 浄水器(ブリタなど)を通した水を測る
ここで多くの人が驚く現象が起きます。
「ブリタを通したのに数値が変わらない!壊れている?」という声をよく聞きますが、これは正常です。
一般的な活性炭フィルターは「塩素(カルキ)やカビ臭」などの有機物は取り除きますが、カルシウムやマグネシウムなどのミネラル成分(導電物質)は通過させます。そのため、TDS(電気伝導率)の数値はほとんど変わりません。
「数値が下がらない=浄水されていない」わけではありません。不味さの原因(カルキ臭)は取れていますが、水の「硬さ・濃度」は変わっていないということです。
3. RO水やZeroWaterを測る
スーパーの無料給水(RO水)や、ZeroWaterなどの強力なイオン交換フィルターを通した水は、0〜5 ppm程度まで下がります。これは文字通り「純水」に近い状態です。
この水はコーヒー抽出の「真っ白なキャンバス」として最適ですが、そのままではミネラルがなさすぎて「味が抜けたような、酸っぱいコーヒー」になりがちです。ここからが「水DIY(ミネラル添加)」の出番となります。
数値別・味の傾向と“レシピ側”の調整(やりすぎない)
自宅の水の数値(TDS)が分かったら、それをどう活かせばいいのでしょうか?
重要なのは、「TDSはあくまで『量』の指標であり、『質(何の成分か)』までは分からない」という点です。しかし、一般論として「この数値帯ならこういう味が起きやすい」という傾向は確実にあります。
以下は、COM-100などの442モード(またはSCA換算後)の数値を基準とした、味の傾向と対策のマトリクスです。
- 💧傾向:抽出効率が低い。
- 👅味:酸味が鋭く出やすい。ボディ感が軽く、あっさりしすぎる(Watery)。
・湯温を上げる
・注ぎをゆっくりにする
- ⚖️傾向:バランスが良い。
- ☕️味:適度なボディ感と、鮮やかな酸味の両立が狙いやすいスイートスポット。
・ここを基準に微調整
・豆のポテンシャルが出やすい
- 🧱傾向:抽出効率が高すぎる。
- 👅味:酸味が抑えられ、苦味や重さが出やすい。後味に渋みやチョーク感(粉っぽさ)を感じることも。
・湯温を少し下げる
・抽出時間を短くする(バイパス注湯など)
このように、「自分の水はTDS 60ppmだから、少し細かく挽いてしっかり味を出そう」といった戦略が立てられるようになります。これがTDSメーターを持つ最大のメリットです。
逆に、「レシピ通りに淹れているのに酸っぱい」という場合、あなたの家の水が極端にLow TDSである可能性が見えてきます。その場合、いくら豆を変えても解決しません。解決策は「水を調整する」ことです。
TDSメーターでできる“最小の改善”
いきなり本格的な「水作り(ミネラル添加)」をするのはハードルが高いかもしれません。しかし、TDSメーターがあれば、今すぐできる簡単な改善があります。
1. 浄水器を変える前に、今の水を把握する
「高い浄水器を買ったのに味が変わらない」という悲劇を防げます。前述の通り、TDS(ミネラル量)を変えたいなら、活性炭ではなくRO(逆浸透膜)やイオン交換樹脂が必要です。
2. 買う水を選ぶ(コスパ最適化)
毎回エビアン(硬水)を買うのはコストがかかります。メーターがあれば、「スーパーの安い天然水(TDS 40)」と「エビアン(TDS 300)」を10:1で混ぜて、「TDS 70くらいのちょうどいい水」を自作する際の計算が正確にできます。
感覚ではなく数値でブレンド比率を決められるので、毎回同じ味を再現できます。
まとめ:まず3地点を測ってメモしよう
コーヒーの味を安定させるために、難しい化学の勉強をする必要はありません。まずはTDSメーターという「羅針盤」を手に入れ、自分が今どこにいるのかを知ることから始めましょう。
- TDSメーターは「電気」を見ている: 換算係数(0.5か0.7か)を知らないと数値はズレる。SCA基準は0.7(442)。
- 150ppmの罠に注意: 安いメーター(0.5)で150ppmを作ると濃すぎる。脳内で×1.4倍して読むか、COM-100を買う。
- 測るだけで失敗は減る: 「今日の水は薄いから細かく挽こう」という戦略が立てられる。
- 浄水器でTDSは下がらない: ミネラルを減らしたいならRO水かゼロウォーターが必要。
まずは以下の3つを測って、スマホのメモ帳に残してみてください。
- 自宅の水道水(季節で変わるかも?)
- いつも飲んでいるミネラルウォーター
- お気に入りのカフェの水(もし分けてもらえたら!)
これだけで、あなたの「家淹れコーヒー」の解像度は一気に上がります。
免責事項
※本記事で紹介しているTDSメーターは、あくまで水中の溶解物質の総量を推測するための簡易測定器です。飲料水の安全性(細菌、ウイルス、重金属汚染など)を判定するものではありません。飲用不可の井戸水などをTDS値だけで判断して飲用しないでください。
※記事内の数値や味の傾向は一般的な目安であり、豆の種類や焙煎度、個人の味覚によって感じ方は異なります。
主な参考文献・情報源
- Specialty Coffee Association (SCA) — The 2018 SCA Water Quality Handbook
- HM Digital(公式仕様)— COM-100 / AP-1
- 東京都水道局 — 水質データ
- Barista Hustle — Water(レシピ/計算ツール)


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