「あの動画で見た、砂の上で煮出すコーヒーが飲みたい。でも、わざわざ専用の器具を買うのはちょっと……」
Instagramのストーリーズや旅番組で目にする、エキゾチックな「トルココーヒー(ターキッシュコーヒー)」。粉が混ざったままの濃厚な液体と、カップを覆う独特の泡。その魅力に惹かれつつも、「ジェズベ(イブリック)」と呼ばれる専用の小鍋がないために、自宅での再現を諦めてはいませんか?
実は、トルココーヒーの本質は「器具」ではなく、「物理現象の制御」にあります。原理さえ理解してしまえば、日本の台所にある普通の小鍋やミルクパンで、あの豊かな泡立ちを再現することは十分に可能です。
本記事では、家淹れ珈琲研究所として検証を重ねた、「ジェズベなしで安全に泡を作るための科学的メソッド」を公開します。専用器具を買う前に、まずは手持ちの道具で、世界最古の抽出方法に挑戦してみましょう。
本記事では一般家庭用の小鍋(ミルクパン等)を使用した方法を紹介しますが、以下の点を必ず遵守してください。
- メーカー推奨の用途を守る IH非対応や直火不可の製品を、指定外の熱源で使用しないでください。
- 転倒防止 直径の小さな鍋をガスコンロで使用する場合、五徳に乗らず転倒する危険性が極めて高くなります。「ミニ五徳」などの補助器具の使用を強く推奨します。
- 火傷への注意 把手が熱くなる素材の場合、必ずミトン等を使用してください。
- トルココーヒーの「泡」と「沈殿」が生まれる仕組み
- 専用器具「ジェズベ」の物理的な役割と、それを普通の鍋で代用するコツ
- 日本のIH・ガス環境で安全に作るための道具選びと手順
トルココーヒーとは(泡と沈殿が“味”を作る)
レシピに入る前に、私たちが目指す「正解の味」を定義しておきましょう。ペーパードリップに慣れ親しんだ私たちにとって、トルココーヒーは異質な飲み物です。最大の特徴は、フィルターで濾過を行わない「煮出し(Decoction)」である点にあります。

関連:濾過しない抽出は、理屈がわかると失敗が一気に減ります。 【2025年版】浸漬式コーヒー完全ガイド|失敗しない科学とレシピ

コーヒーの微粉(セディメント)も、油分(コーヒーオイル)も、すべてがカップの中に注がれます。これだけ聞くと「粉っぽくて泥のようなコーヒー」を想像するかもしれませんが、正しく抽出されたトルココーヒーは、明確な「三層構造」を持っています。
図解 理想的なカップの状態
「混ぜない」「底は飲まない」が鉄則
- 泡(Foam/Crema)
見た目の美しさだけでなく、香りを閉じ込め、口当たりを滑らかにする「蓋」の役割を果たします。これがないと、ただの濃い煮汁になってしまいます。 - 液体(Body)
微細な粒子が浮遊(サスペンション)することで生まれる、とろりとした重厚なボディ感が特徴です。 - 沈殿(Telve)
カップの底に溜まる粉の層です。ここは飲みません。日本茶の茶柱のように、あるいはワインの澱(おり)のように、静かに残すのがマナーであり、美味しく飲むコツです。
つまり、家庭での再現におけるゴールは、「いかに粉を沈殿させつつ、上質な泡を作り、それを壊さずにカップへ移せるか」という点に集約されます。
銅製ジェズベ(小径・ロングハンドル/1〜2杯用)
“首が狭い形”で泡が集まりやすく、狙った再現がしやすい専用器具。 ガスで使うならミニ五徳とセット運用が安全です。
ステンレス製ジェズベ/イブリック
扱いやすさ重視ならステンレス。手入れが簡単で、日常使いに寄せやすいのが利点です。 ※IH対応は製品仕様(底面構造)で差が出ます。
ジェズベの“効きどころ”と、家庭での代用条件
なぜトルココーヒーには、あの独特な形をした「ジェズベ(またはイブリック)」という専用器具が使われるのでしょうか。伝統だから? 雰囲気が出るから? もちろんそれもありますが、最大の理由は「流体力学的な機能性」にあります。
ジェズベの形状は、底が広く、上部のネック(首)に向かって急激に狭くなっています。この形状が、泡作りにおいて決定的な仕事をしているのです。
一般的なミルクパンや行平鍋は、口が広い「寸胴型」や「フレア型」です。このまま普通に沸かすと、せっかくできた泡が広い液面に薄く広がってしまい、すぐに消えてしまいます。「鍋で作ると泡立たない」という失敗の9割は、この「液面積の広さ」が原因です。
家庭で勝つための条件
専用器具を使わずにこの物理現象を再現するためには、以下のいずれかの条件を満たす道具を選ぶ必要があります。
- 直径が極端に小さいこと(バターウォーマーなど)
ジェズベに近い直径(7〜9cm程度)であれば、そのまま加熱しても泡の層が維持されやすくなります。 - 注ぎ口がついていること
せっかく集めた泡を、カップに移す瞬間に壊してしまっては意味がありません。スムーズに流せるスパウト(注ぎ口)は必須です。 - 傾けても安全であること
少し大きめの鍋を使う場合、最後に鍋を傾けて泡を集めるテクニック(後述)を使います。その際、ハンドルが持ちやすく、安定していることが重要です。
次章では、これらの条件を満たし、日本のキッチン(IH・ガス)で現実的に使える「ベストな代用器具」を、家淹れ珈琲研究所での検証結果に基づいて具体的に紹介します。
【検証パート】日本の台所で使える“代用器具”ベスト3
「じゃあ、結局何を使えばいいの?」
この疑問に答えるため、当ラボでは日本国内で入手しやすい調理器具を対象に、トルココーヒーの再現性を検証しました。
検証のポイントは以下の3点です。
- 泡の作りやすさ:直径が小さく、液面の広がりを抑えられるか。
- 注ぎやすさ:カップに移す際、泡を壊さず静かに注げるか。
- 安全性:日本の一般的なガスコンロ・IHヒーターで安定して使えるか。
IHキッチンの人は、買う前に“底径12cmの罠”だけ先に潰しておくと失敗しません。【検証】IHでイブリックは使えない?ジェズベの選び方と「12cmの壁」突破術

【比較表】ジェズベ代用候補のスペック一覧
まずは各ツールの特性を整理しました。結論から言えば、「バターウォーマー」が最もバランスが良く、ガス派なら「ミニ五徳」が必須装備となります。
| タイプ | 直径(目安) | 泡作り | 注ぎ | ガス安全性 | IH対応 |
|---|---|---|---|---|---|
| ① バターウォーマー(DANSK, 野田琺瑯など) | 8〜9cm | ◯ | ◎ | 要五徳 | △ 機種による |
| ② ミルクパン・小鍋(ニトリ, IKEAなど) | 13〜15cm | △ 広すぎる | ◯ | ◎ | ◎ |
| ③ ステンレス計量カップ(アウトドア流用) | 9〜10cm | ◯ | ▲ 液垂れ注意 | 危険 転倒リスク大 | × |
| (参考) ジェズベ専用器具 | 7〜8cm | ◎ | ◎ | 要五徳 | △ |
※2025年12月時点の一般的な製品仕様に基づく検証評価
結論:あなたの環境に合うのはこれ
IHで使用する場合、底径が小さすぎて反応しない機種があります。必ず自宅のIHの「最小対応径」を確認してください。
1杯分だけ作ろうとすると、蒸発が早く煮詰まりがちです。分量を多めに設定しましょう。
100円ショップやホームセンターのアウトドアコーナーでも入手可能です。安全のために必ず用意してください。
ここまで読んだ方へ:おすすめ道具をサクッと確認
「ジェズベなしで勝つ」なら、まずは 小径+注ぎやすさ+安全 の3点を満たす道具が近道です(必要なものだけ見てOK)。
バターウォーマー(野田琺瑯)
直径が小さく、注ぎ口も安定。ジェズベ無しで「泡を育てる」なら一番ラクに勝てます。 ※IHは“最小対応径”により反応しないことがあるので要確認です。
ミニ五徳(小径鍋用の補助五徳)
小径の鍋・ジェズベは、家庭用コンロの五徳だと“乗らない/傾く”が起こりがちです。 安全のため、ガスなら最優先で用意してください。
小径ミルクパン
安定感が高く、IHでも運用しやすいのが強み。広口になりやすいので、 成功率を上げるなら「2杯分まとめて作る(総量2〜3倍)」がコツです。
トルココーヒーは“挽き目が8割”です。ふつうの手挽きミルだと限界が出やすいので、超極細寄りにできるミルを使うと成功率が上がります。
Sözen(ソゼン)手動コーヒーグラインダー
トルココーヒーは“粉が命”。ドリップ用よりさらに細かい領域まで寄せたい人向けの候補です。まず粉の再現性を上げると、味のブレが減ります。
トルコ系 真鍮手動グラインダー
“雰囲気”も含めて一式そろえたい人向け。細挽き寄りにできるモデルが多いので、トルココーヒーの再現に寄せやすい候補です。
- 「直火不可」の製品は避ける:計量カップやマグカップの中には、加熱を想定していないものがあります。必ず品質表示を確認してください。
- 薄手のステンレス単層は難しい:100均のキャンプ用カップなどは薄すぎて熱がダイレクトに伝わり、一瞬で沸騰して泡が消えてしまいます。厚みのある鍋や、琺瑯(ホーロー)素材が推奨です。
- 強火は厳禁:どの器具を使う場合でも、小さな鍋に強火を当てると、取っ手が焼けるだけでなく、中の液体が突沸して危険です。常に「弱火」が基本です。
道具の準備はできましたか?
それではいよいよ、家淹れ珈琲研究所が推奨する「家庭再現レシピ」の実践に入ります。ポイントは、物理法則に従って「泡」を育て、それを壊さないように扱うことです。
当ラボ推奨レシピ(家庭再現・固定条件)
器具が揃ったら、いよいよ抽出です。ここでは「ジェズベなし」というハンデを克服するために設計された、家淹れ珈琲研究所独自のプロトコルを紹介します。
最大のポイントは「泡を育て、逃さない」こと。以下の数値を基準(ベースライン)として、お手持ちの器具に合わせて微調整してください。
※上記は1杯分の分量です。広口鍋(13cm〜)を使う場合は、水深確保のため全量を2〜3倍にしてください。
極細挽きの目安はこちら: コーヒー挽き目の標準ミクロンチャート / 粉が飛ぶ・付着する対策: コーヒーミルの静電気対策「RDT」完全ガイド


手順詳細:科学的アプローチによる5ステップ
Step 1:常温での「完全攪拌」
鍋に水、コーヒー粉、そして砂糖を入れます。ここで重要なのは、「加熱前に完全にダマをなくすこと」です。
極細挽きの粉は水を弾きやすいため、お湯に入れてしまうと表面だけが固まり(ドライクランプ)、抽出ムラになります。常温の水で時間をかけて攪拌し、粉全体を水和(Hydration)させましょう。
砂糖を入れる理由:
本場トルコでは無糖(Sade)も飲まれますが、初心者には砂糖入り(Orta)を強く推奨します。砂糖が液体の粘度を高めることで、泡が消えにくくなり、成功率が格段に上がるからです。
Step 2:弱火加熱と「不干渉の掟」
鍋を弱火にかけます。これ以降、スプーンを入れてはいけません。
温度が上がるとタンパク質や糖類が泡の骨格を作り始めます。ここで触るとその構造が壊れてしまいます。自然な対流に任せてください。加熱時間の目安は3〜4分です。
Step 3:「傾け技」による泡の集約 (The Tilting Technique)
液温が上がり、鍋の縁から細かい泡のリング(ダークフォーム)が発生し始めたら、鍋全体をゆっくりと斜めに傾けます。
これはジェズベの「首が狭い」形状を擬似的に再現するためのテクニックです。液面を狭くすることで、散らばろうとする泡を一箇所(手前側)に集めることができます。
ガスコンロの場合、傾けすぎると引火や転倒の危険があります。必ずミニ五徳を使用し、安定する角度で行ってください。IHの場合はセンサーが反応する範囲で傾けます。
Step 4:上昇と離脱 (The Rise)
泡が内側にせり出し、液面全体がキノコのように盛り上がってきます。この瞬間を見逃さないでください。
グツグツと沸騰(Boiling)させてはいけません。泡が弾けて消えてしまいます。盛り上がりがピークに達し、「あふれる!」と思う一歩手前で、素早く火から下ろします。
Step 5:泡の確保と注ぎ
理想的には、まずスプーンで一番良い状態の泡をすくい取り、カップに入れます。その後、残りの液体をゆっくりと注ぎ入れます。こうすることで、注ぐ勢いで泡が消えるのを防げます。
飲み方(2分待つ)— 粉っぽさを消す最短ルール
コーヒーをカップに注いだら、すぐには飲まないでください。ここからの「待ち時間」が、最後の調理工程です。
トルココーヒーは濾過をしていないため、カップの中には大量の微粉が舞っています。物理学の「ストークスの法則」に従い、これらの粒子が底に沈殿するのを待つ必要があります。
(クリア感)
(粉っぽい)
ベストな飲み頃!
グラフが示す通り、注いでから1分〜2分待つだけで、口当たりは劇的に改善します。
- 混ぜない:スプーンでかき混ぜると、せっかく沈んだ粉が再び舞い上がります。
- 底は飲まない:飲み進めていくと、底の方に泥状の層(Telve)が現れます。これは残すのがマナーであり、無理に飲むと胃もたれの原因になります。
この「静寂の時間」を楽しむことこそが、トルココーヒーという文化の本質なのかもしれません。
よくある失敗と対策(Q&A)
「レシピ通りにやったはずなのに、うまくいかない……」
そんな時に確認してほしいポイントを、失敗の症状別にまとめました。
診断B:豆の鮮度不足 泡の正体は、豆に含まれる炭酸ガス(CO2)です。焙煎から数ヶ月経った古い豆ではガスが抜けており、どんなに上手に淹れても泡立ちません。
(関連記事:コーヒー豆は焙煎後何日が一番おいしい?浅煎り・中煎り・深煎りそれぞれの「飲み頃」とエイジングの科学)
診断B:静置時間が足りません 注いでから「2分待つ」を守りましたか? ストークスの法則により、微粉が沈むには物理的な時間が必要です。
もっと詳しく知りたい方へ:関連ラボへの案内
トルココーヒーの成功率をさらに上げるなら、効くのは「挽き目」「鮮度」「抽出理屈」「水」です。必要なところからどうぞ。
挽き目の「極細」を極める
トルコ挽きは粒度がすべて。目安と、対応できるミルを先に押さえるのが最短です。
泡(CO2)=豆の鮮度を扱う
泡の燃料は豆のガスです。焙煎後の状態管理や保存が効いてきます(「泡が弱い」対策に直結)。
抽出の“原理側”を深掘りする
トルココーヒーは「濾過しない抽出」です。原理が分かると失敗の切り分けが速くなります。
水の入口を整える
日本の軟水でもOK。でも“まず塩素”を外すと、わかりやすく整います。
本記事の推奨メソッドは、以下の条件下で実証実験を行い、再現性を確認しています。
結論:家淹れコーヒーの新たな地平へ
トルココーヒーは、コーヒーの歴史の始原でありながら、その科学的深淵は現代のスペシャルティコーヒーに通じています。
今回、私たちは「専用器具(ジェズベ)がない」という制約を、物理学の理解によって乗り越える方法を検証しました。重要なのは、器具そのものではなく、「液面を制御して泡を集める」というメカニズムの理解でした。
バターウォーマーやミニ五徳といった身近な道具を使い、傾斜法(Tilting)という工夫を加えることで、あの濃厚な泡と香りは、日本の家庭でも十分に再現可能です。
「道具がないから」と諦める必要はありません。まずは手持ちの小鍋と、極細挽きの豆を用意して、世界最古の抽出方法にチャレンジしてみてください。その一杯は、いつものペーパードリップとは全く違う、コーヒーの新しい表情を見せてくれるはずです。
本記事の執筆および検証にあたり、以下の学術資料、規格、および公式情報を参照しました。
-
UNESCO Intangible Cultural Heritage
“Turkish coffee culture and tradition” (Inscribed in 2013).
※トルココーヒーの定義および文化的背景(泡・沈殿・提供スタイル)の参照元。 -
Illy, A. & Viani, R. (2005). Espresso Coffee: The Science of Quality. Academic Press.
※コーヒーの泡(フォーム)における界面活性物質(メラノイジン、タンパク質)の役割、およびコロイドの安定性に関する物理化学的メカニズムの参照。 -
Specialty Coffee Association (SCA)
“Coffee Standards: Grind Size”
※抽出メソッドごとの適正粒度基準(Turkish: <100µm)の定義参照。 -
Clarke, R. J. & Macrae, R. (1987). Coffee: Volume 2: Technology. Elsevier Applied Science.
※煮出し抽出(Decoction)における固形分溶解率と過抽出のリスクに関するデータ参照。 -
Batchelor, G. K. (1967). An Introduction to Fluid Dynamics. Cambridge University Press.
※微粒子の沈降速度(ストークスの法則)および流体中のサスペンション挙動に関する基礎理論参照。
※本記事における代用器具の安全性検証は、日本国内で流通する一般的な家庭用コンロ(JIS規格準拠)および調理器具の取扱説明書に基づいて独自に行ったものです。


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